あなたの配偶者や子供は敬意に値するのはなぜか?
では、なぜ子供なのに、また妻なのに尊敬したり、きれいな言葉を使う必要があるのか?また、愚痴など聞いてあげる必要などあるのだろうか?と思う人が時々います。
また、残念なことに、「うちの親はぐうたらで、飲んだくれだ。私の話など聴いてくれやしない。どうして尊敬できるだろう!」と考える子供たちもいます。
今の世界、人を見下げた態度が幅を利かせていますね。
男尊女卑の依然として強い日本社会。
妻を紹介する時、「これは愚妻の・・・・」ですと、紹介することも。
言うことを聞かない子供に「どうしてあなたは駄目な子なの!」
と言う親。
やはり背後に、子供や配偶者を見下げた考え(認めたくないかもしれないが)があるのです。
ではどうして、家族は互いに敬意を受けるに値する存在なのでしょうか?
あなたは夫婦である前に、男と女ではないでしょうか?
男と女である前に、一人の人間ではないでしょうか。?
あなたは親子である前に、一人の人間ではないでしょうか?
理性のない動物ではないのです。
世界に唯一の人格(一人として同じ人はいない)を持つ人間ではないでしょうか?
ではどうして、獣のように扱われたり、無視されたり、時には言葉で虐待されていいでしょうか?
時々、あなたは戦争のや飢えのために、泣いている子供を見かけたことがありませんか?どう思いましたか?
「なんとひどいことが起きているのだろう!こんなかわいそうな目に!」と思うことがあったに違いありません。
そう思うあなたは正常です。
人はそう思うことによって自ら「人はそれぞれ尊厳を持って生まれてきた」ということを認めているのです。
子供や女性の悲鳴や泣き叫ぶ声を聞いて、反応しない人はいないそうです。
人はそう思うことによって自ら「人はそれぞれ尊厳を持って生まれてきた」ということを認めているのです。
もしあなたの家族が互いにののしりあったり、馬鹿呼ばわりする傾向にあるならどうだろう。
妻や子供にいつも命令口調だったりするだろうか?
そこまではないにしても、時々無視することがあったり、いつもインスタントの食事を子供に与える(かわいいかもしれないがペットのように)ことが習慣になっているならどうだろう?
人間としての尊厳を認めているだろうか?
それとも、獣と同じように扱っていることになるだろうか?
しかし正しい認識つまり、「自分の家族を含め、人は尊厳を受けるに値する」という認識で互いが接してゆくならどうだろう?
互いへの敬意は自分と家族だけでなく、世界を優れたものにしてゆくことは間違いない。
ところで敬意は愛の行いと、どのように切っても切れない関係なのだろう。
敬意は贈り物で例えるなら、包装紙のようなものかも。
また薬で例えるならオブラートのようなものだ。
誰も、お腹が減っているからといって、口の中にパンをねじ込んでもらって、うれしいとは感じない。むしろ吐き出すだろう!
つまり敬意を込めて初めて、愛の行動が活きてゆくのです。
練習ノート
子供や配偶者にお願い事をする時、命令口調をやめてみる。
たとば『できれば・・・・・してくれない』
『・・・・してくれるならお母さんは助かるわ(うれしいな)』
『よかったら、・・・・・・してくれるならありがたいな!』
注意)今までの言い方と、突然違うと逆に「お母さんらしくない!」夫から「お前らしくないから、やめろ!」という反応があるものです。しかし、続けてください。そのような反応は、あなたを拒絶しているのではなく、敬意を受けることによって"自分も敬意を示さなければならなくなる"という自然な反応に抵抗しているのです。自分も変化しなければならないメッセージに対する一時的な拒否反応なのです。したがって、上記のような反応があれば、あなたはその時点で成功していることが分かりますね。


