愛は動詞である
前項の「愛についての考え違い」に、
◇ 「親が、子供が子供がいないのをさびしく思う気持ち」
◇ 「ゴールデンタイムの恋愛ドラマの主人公が恋する人に告白する」
◇ 「配偶者が、介護を必要とする体になった時に悲しく思う」
というのがありましたね。
では、どこが間違っているのでしょうか?
次の引用を我慢して、読んでください
(「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)より)
『愛とは動詞である
あるセミナーでの話しだ。
「先生おっしゃっている事は分かるんですが、人によっては状況はすべて違うんですよ。
「例えば、私の結婚についてですが、不安でたまりませんよ。
妻と私は昔のような気持ちがもう無いんです。私は妻を愛してないし、妻も私のなんか愛していません。・・・・・」
「愛する気持ちをもう失ってしまったんですね」と聞くと、
「そうです。子供が3人もいるので、とても不安なんです。どうしたらいいのでしょうか」、と続けた。
「奥さんを愛しなさい」と私は返事した。
「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないんです。」
「だから、彼女を愛しなさい」と私は返事した。
「先生はわかっていない。愛という気持ちはもうないんです。」
「たったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちが無いのだったら、それは奥さんを愛するとてもよい理由になりますよ」。
「でも、愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」
「愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果に過ぎない。
「だから奥さんを愛しなさい」
「奥さんに奉仕しなさい」
「犠牲を払いなさい」
「彼女の話を聴いてあげなさい」
「感情を理解してあげなさい」
「感謝を表しなさい」
「奥さんを肯定しなさい、そうしてみては、いかがですか」
あなたはこの引用から自分の考え違いを確認できましたか?
念のために、要点を述べます。
愛とは必ずしも気持ち、感情のことではないということです。
世界的な文学において、「愛」は常に動詞(行動)として出てくるそうです。
いつも回りに振り回されて、文句ばかり言い、自分の境遇について嘆いている人は、愛を単なる気持ち(感情)としてしかとらえていない。
まさに、大きな誤解であり、自己憐憫の根本原因であり、悲劇なのだ。
どうして、そのような誤解が浸透していると思われますか?
戦後のメディア社会は欧米の影響もあって、テレビや映画のロマンス・ドラマの主人公たちを通して、愛とは感情であると教えているからなのです。
感情が人の行動を支配し、それが肯定されないと、嘆いたり、暴力を振るったりしていませんか?それが、ドラマの根底に流れているストーリーです。
そして、そのようなストーリーは人を間違った"愛"の中毒にさせているのです。
そのような番組、映画に夢中になった人の多くが、欲求不満、自己憐憫に陥っているという事実が、それを教えていないでしょうか。
もしそれに同意されるなら、即刻、そのような中毒になりやすいドラマや映画を見るのをやめることです。そして子供にも見せないように、健全な娯楽を用意してあげることです。
愛は行動である。
愛とは具体的な行動なのです。
家族(配偶者、子供など)、友人、他人に対して犠牲を払うことです。
時には、愛せない人を愛する力になるのだ。
つまり、感情を正しい価値観(次項)に服従させる力なのだ。
実践ノート
1)これまでの自分を振り返り、「愛とは感情(気持ち)である」というメッセージが込められている、どんなドラマや映画を見てきたでしょうか?どれほど、感情をあおられてきたでしょうか?ノートに書いてみてください。
2)これから一週間。一日一回でもいい。家族(子供、配偶者)や、職場の同僚に奉仕し見てみてください。気が進まなくても、感謝されなくても(むしろその方が良い)そうしてみてください。そして、ノートに記録してみてください。


